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観音寺のご由緒

中興開山

慶長二年(1597年)本山京都智積院より、珍永僧都来たり創立。在住二十三年、元和元年6月遷化。寛永十年(1633年)大火にて重要記録等焼失。その後、第三世圓雄から第五世貫翁により万治二年(1659年)に再建。貫翁、本山一臈に昇進、金剛王院流の祖をなし寛文元年(1661年)当山在住三年にして水沢に閑居し毎日三度の修法に勤めた、元禄七年に八十三歳にて入滅。弟子、恵密・珉山・幸弁・寛興・翁淳・寛明らにより、安永二年(1773年)再建し、寛政元年(1789年)には現在の山門が建立された。

寺院

高野山真言宗 楊梅山 観音寺木曽唯一の真言宗寺院

開基

大同六年(806年)坂上田村麻呂将軍の開創本尊

十一面観世音菩薩室町時代の作にて立像観音で船形後背の衣の袖が風になびいている御姿にて流麗なる様子は多くの学者の驚嘆する仏像である。

薬師如来像

一位の木、一本彫り、鎌倉時代の作で木曽最古も仏像。この薬師如来像は、当寺の墓地内に薬師堂があり、そこのご本尊として祀られており十三像(石仏)と共に護られてきたが、御堂の荒廃により平成三年十二月二十一日解体する。

水沢 松安寺(旧跡 現在の観音寺発祥の地)

観音寺境内により約四・五丁奥、田村麻呂将軍、東国征定途上、その軍功成来の所願の為にこの地を守り、本尊の兜観音祀り戦勝祈願し大勝し凱旋、報恩を謝し一字建立。これが後の観音寺の基となる。元禄時代には観音寺第五貫翁尊師が閑居して草庵として弟子の貫山と共に毎日三座の修法に励んだ。

大日様

大日岩とも言う、大日如来の石仏が安置してあり、天保年間に観音寺の僧侶が大日如来を祀った。以来、大日様と言うようになった。以前は御岳行者の修行場であった、峻嶮の岩肌には、様々な神仏の石塔が一面に張り付くように祀られている。(寺より、南五百米先)